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PeaceだったりHiLightだったり

instagramの画像なんかをもってきて、そこから話をふくらませたりします。

「ステレオ太陽族」に寄せた黒柳徹子さんのコメントが大好き

 

https://www.instagram.com/p/BBBN4VhlJ6c/

#sas #サザンオールスターズ #紙ジャケ #record #vynil #アナログ盤 #ステレオ太陽族すべてのレコードの中で一番好きなのはこれ!いつまでも聴いていられます。全く飽きない。名盤とはこのレコードのためにある言葉だね!

 

黒柳徹子さんの桑田佳祐さんへの思い

 

1998年にサザンのアルバムが紙ジャケで再発されたときに、いろんな人がライナー書いていたのですが、ステレオ太陽族のライナーはなんと黒柳徹子さんでした。。

 

そのライナー、何度読んでも感動的で素晴らしいんです。

こんな感じ

f:id:PeaceAndHiLight:20160219132609j:image 

 

あまりに素晴らしいからちょっと書き写してみます。

私が初めて桑田さんにあったのは、サザンオールスターズが『ザ・ベストテン』に初登場したときで、新宿ロフトという小さなライブハウスのステージからの中継だった、、

中略

その時から私は、桑田さんの作る音楽をとても変わっている、勇気のあるものだと思って聞いていた。勇気があるという表現もおかしいけれど、何か冗談を言いながらでも、彼の中にある、何か他人とは違うもの、そういう何かを感じていたのだった。

中略

その頃から私は彼を息子と呼び、彼は私を、お母さんと呼んだ。今だから話せるけれど同時の桑田さんは、私の目から見ると何かちょっと危なっかしい少年が、大人になりかかっている、そんなふうに見えた。

確かに音楽は変わっていて、勇気のある、また面白いところもあるものだったけれど、あまりにも他の歌手と違っていたので、もし何か彼が失敗するようなことがあったら、司会者として私がかばわなければいけない、そんな事が起こった時、常々私が彼を『息子』と読んでいれば、「まぁ本当にうちの息子が不始末をしでかして、申し訳ございません」ともできると考えたのだ。

今考えると本当におかしな、とりこし苦労だったのだけれど。

そして同時に私は自由でちょっと我儘、だけど一生懸命な彼を、本当の息子のようにかわいいと思い始めていた。

 

中略

桑田さんと原さんの結婚式で(中略)私は仕事があって、どうしても披露宴に出席することができなかった。すると桑田さんは「お母さん、何時でもいいですから、僕も原坊も披露宴の着物、着ておまちしていますから、せめてその姿だけでも見に来てくださいませんか?」と連絡してくれた。

中略

レイ・チャールズが『いとしのエリー』を歌っているのを観た。そして私が息子と呼んで心配していた桑田さんが、すでに全く心配する必要のない、素晴らしい音楽家になったのだとしみじみ感じた。

 

 黒柳さんの「母親」としての視線、いいですよね。

「私が謝ってあげなきゃ、かばってあげなきゃ」という姿勢、なんだか胸が熱くなります。

とかく若い才能を潰してしまいがちな日本で、こうやって見守ってくれた大人がいた、というのは素晴らしいことだと思います。

さて、アタシも子供たちが「失敗」したときには、謝りに行こう。