「ステレオ太陽族」に寄せた黒柳徹子さんのコメントが大好き
黒柳徹子さんの桑田佳祐さんへの思い
1998年にサザンのアルバムが紙ジャケで再発されたときに、いろんな人がライナー書いていたのですが、ステレオ太陽族のライナーはなんと黒柳徹子さんでした。。
そのライナー、何度読んでも感動的で素晴らしいんです。
こんな感じ
あまりに素晴らしいからちょっと書き写してみます。
私が初めて桑田さんにあったのは、サザンオールスターズが『ザ・ベストテン』に初登場したときで、新宿ロフトという小さなライブハウスのステージからの中継だった、、
中略
その時から私は、桑田さんの作る音楽をとても変わっている、勇気のあるものだと思って聞いていた。勇気があるという表現もおかしいけれど、何か冗談を言いながらでも、彼の中にある、何か他人とは違うもの、そういう何かを感じていたのだった。
中略
その頃から私は彼を息子と呼び、彼は私を、お母さんと呼んだ。今だから話せるけれど同時の桑田さんは、私の目から見ると何かちょっと危なっかしい少年が、大人になりかかっている、そんなふうに見えた。
確かに音楽は変わっていて、勇気のある、また面白いところもあるものだったけれど、あまりにも他の歌手と違っていたので、もし何か彼が失敗するようなことがあったら、司会者として私がかばわなければいけない、そんな事が起こった時、常々私が彼を『息子』と読んでいれば、「まぁ本当にうちの息子が不始末をしでかして、申し訳ございません」ともできると考えたのだ。
今考えると本当におかしな、とりこし苦労だったのだけれど。
そして同時に私は自由でちょっと我儘、だけど一生懸命な彼を、本当の息子のようにかわいいと思い始めていた。
中略
桑田さんと原さんの結婚式で(中略)私は仕事があって、どうしても披露宴に出席することができなかった。すると桑田さんは「お母さん、何時でもいいですから、僕も原坊も披露宴の着物、着ておまちしていますから、せめてその姿だけでも見に来てくださいませんか?」と連絡してくれた。
中略
レイ・チャールズが『いとしのエリー』を歌っているのを観た。そして私が息子と呼んで心配していた桑田さんが、すでに全く心配する必要のない、素晴らしい音楽家になったのだとしみじみ感じた。
黒柳さんの「母親」としての視線、いいですよね。
「私が謝ってあげなきゃ、かばってあげなきゃ」という姿勢、なんだか胸が熱くなります。
黒柳さんはきっと今も、変わらない視線で桑田さんのことを見ているに違いないでしょう。息子はその後、現代の日本のポピュラーミュージックの主役を40年近くも走り続けることとなったのですから。
とかく若い才能を潰してしまいがちな日本で、こうやって見守ってくれた大人がいた、というのは素晴らしいことだと思います。
今、黒柳さんが桑田さんに話しかけるのなら、どういう話をするのかな?立派、というには想像以上に立派になった桑田さんのことが誇らしくて仕方ないに違いない!
さて、アタシも子供たちが「失敗」したときには、替わりに誤ってあげられる大人になろう。そして次の世代が育っていくのだ。