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instagramの画像なんかをもってきて、そこから話をふくらませたりします。

「唐人物語」はなぜ異色なのか

サザンの楽曲中、もっとも異色な曲である「唐人物語」

https://www.instagram.com/p/BmZhsitH7mP/

#海のohyeah #サザンオールスターズ #southernallstars #さくら#唐人物語 #斎藤きち原さんの楽曲の中でも、特に異色のものだと思います。ご存知の通り、洋妾、ラシャメンの斎藤きちのことを歌った曲になります。実際の出来事や実在した人物(ビートルズやディランなどのミュージシャン、家族などは除く)をなぜ取り上げたのか?は不明ですが、これをきっかけに洋妾について知り、色々と調べたりしました。コンピュータによる桜吹雪をイメージしたような後半の音作りがとても美しい曲ですすよね。この曲、Radioheadの「Let Down」を参考にしたのではないかな?と今も確信しております。 

なぜ異色なのでしょうか

「異色」というからには、いつものサザンではない、という点があるからなんですね。

それは

  • 横浜や茅ヶ崎ではなく、「下田」が舞台であること
  • 実在の人物「斎藤きち」がモデルになっていること

だと思います。え?そんなこと大したことないって?いや、そう言われると、まあそうなんですけれど、もうちょっとお付き合いいただきたいと思うの。

下田という意外さ

横浜はサザンの(というか原さんのホームタウン)、茅ヶ崎は言わずとしれた桑田さんのホームタウン。

で、下田は?

そう、別にサザンとの関連ってないんですよ(多分)。唐人坂、稲生沢なんてのは江ノ電に乗っても東横線に乗っても出てこないワードですよ。 

下田って何があるかよく分からないですものね。温泉?港?

ていうか近代史で「ペリーが黒船とともに訪れ、開港したのが下田」ということは習ったけど、それ以上下田の知識なんてないものね。

(もちろん私が無知なだけってことなのですが、桑田さんがライブで「下田〜〜〜!アリーナ!!!!」ってシャウトしたりしないし)

※「嫌なことだらけの世の中で」のように京都を舞台にした曲もありますが、京都は特別で、おそらくニューヨークとかリバプールとかと同じような「別世界」なイメージかな、と。SAUDADEでのブラジルの地名にしてもそうですね。異世界のキーワードが出ることで、その世界に連れて行かれているような気がするんですね。

モデルがいるということ 

で、実在の人物という点について。もちろんビートルズやディラン、デビッド・ボウイなど、実際の人物が歌詞の中に出てくることはありましたし、弘田三枝子さんが「MICO」のモチーフになったのは有名な話ですよね。

Dear John

Dear John

  • provided courtesy of iTunes
MICO

MICO

  • provided courtesy of iTunes

でも、いずれも「ミュージシャンとして」「芸能の先輩として」「憧れの対象として」歌の中に登場したのであり、その人の人生(しかもダークな面、開国当時の日本政府に弄ばれた)を歌うようなものではありませんでした。

後述しますが、「唐人物語」では、実在した「斎藤きち」の波乱の人生の生きづらさや寂しさを歌ったものになります。

この「生きづらさ」みたいなところが「異色」大きなポイントですね。

サザンは「辛いことがあってもしっかり生きていこう」みたいなメッセージを、たとえその言葉を言わずとも、音楽で伝えるバンドです。

「生きづらさ」「周囲からの侮蔑の視線」などは、異色としか言いようがないテーマといって間違いありません。

ラシャメンとは何なのか、斎藤きちとは誰なのか

アルバム「Sakura」収録の楽曲です。

原由子さんの優しいボーカルで歌われると「なんとなく寂しげな雰囲気もあるけれど、歌詞はキレイな響きの単語が並んでいるし、サザンっぽい素敵な曲」と受け取ってしまいがちですよね。

たしかに、サザンのディープなファンではない人、あるいは音楽なんて適当にBGMにしておけばいいよ、という人にはそれで十分ではないでしょうか。それでOKな人は、これ以上深入りして、曲が何を言おうとしているものか、なんて考える必要なんてありません。

だけど、歌詞の一字一句やギターのドラムの一つ一つのフレーズが気になる人にとってはそうではありません。気になるなら調べてみましょう。

いちいち気になる単語ばかりが並んでいるこの曲、発表当時はそれほどインターネットが充実しているわけでもなく、どういう曲なのか?がいまいち理解できなかったという実情があります。

発表は1998年。うーん、インターネットや「検索」が世の中に無かったわけではありませんが、「わからないことはググる」な習慣が人類にまだ無かったころの話ですね。

小説や映画で語られた「唐人お吉」とは

勉強不足なのであまり知りませんでした。ここからはかなり「検索」に頼った記述になります。(Oh, Wikipedia!)

ラシャメンとは「用妾」を指す蔑称である

羅紗緬 - Wikipedia

「羅紗緬」と書くんですね。

幕末開国後の1860年頃から使われだした言葉で、西洋の船乗りが食用と性欲の解消の為に船にヒツジを載せていたとする俗説が信じられていたためといわれる。パンパンイエローキャブと同じような使われ方をする。

なんだかひどい言い草ですね。羊で食欲と性欲って、、、、、

西洋人に対してもひどい偏見だし、さらにその女性に対してもひどい言い草ですよ。

話は飛ぶようですが、これって男性のコンプレックスの裏返しでしかない言葉だよね。

幕府は日本人の娘が外国人男性と結婚するのを禁じていたが、外国人からは遊郭の遊女以外の女性の要望も強く、せめて妾は許して欲しいと主張されて遊女であれば外国人の自由にさせても攘夷の浪人を憤慨させることはあるまいと、万延元年(1860年)、港崎遊郭の羅紗緬に外国人の妾になることも許した。 遊女は遊女屋と証書契約を結んで鑑札を受けてのちに外国人の妾となり、給料の中から遊女屋へ鑑札料を支払っていた。

「遊女以外の女性の要望も強く」という点。幕府からすると「外国人は結局遊女がほしいんだろ?」という思惑があったけれど、そうではない、ということですよね。女性に対する考え方の当時のアメリカと日本の違い、、、というのはちょっと違うかもしれませんが、日本は女性を「差し出す」ことを考えていたということでしょう。

結局、妾が許される運びとなったのですね。

下田の人気芸者だった斎藤きち

斎藤きち - Wikipedia

1857年安政4年)5月日本の初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリス玉泉寺領事館で精力的に日米外交を行っている最中、慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥せってしまう。困ったハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンはハリスの世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼する。しかし、当時の日本人には看護婦の概念がよく解らず、の斡旋依頼だと誤解してしまう。そこで候補に挙がったのがお吉だった。

これ、初めて読んだときには愕然としました。

「看護婦を求めていたのに、妾の斡旋依頼だと誤解してしまう」

看護婦の概念がわからない、というのはいいでしょう。世界中にナイチンゲールがいたわけでもありません。当時の日本がその面では発展していなかったのですから。

ハリス「お世話をしてくれる女性を求める」

日本政府「はい、お妾さんですね!芸者はいかがでしょう」

という感じだったのかな?????ハリスさんを怒らせちゃなんねぇ、立派に務められる人物を送り込め!と?

日本政府「最高の芸者を用意しろ、下田でいちばんの芸者を連れてこい!」と?

しかも「お国のためだ!しっかりやれ!」と?

「唐人物語」で歌われるのはここ

当時の大多数の日本人は外国人に偏見を持ち、外国人に身を任せることを恥とする風潮があった。

このため、幼馴染の婚約者がいたお吉は固辞したが、幕府役人の執拗な説得に折れ、ハリスのもとへ赴くことになった。当初、人々はお吉に対して同情的だったが、お吉の羽振りが良くなっていくにつれて、次第に嫉妬と侮蔑の目を向けるようになる。ハリスの容態が回復した3か月後の8月、お吉は解雇され再び芸者となるが、人々の冷たい視線は変わらぬままであった。この頃から彼女は色に耽るようになる。

「外国人に偏見を持ち…」のくだり、実は今でも同じようなものですよね。

物乞いを続けた後、1890年明治23年3月27日稲生沢川門栗ヶ淵に身投げをして自殺した。満48歳没(享年50)

その後、稲生沢川から引き上げられたお吉の遺体を人々は「汚らわしい」と蔑み、斎藤家の菩提寺も埋葬を拒否した為、河川敷に3日も捨て置かれるなど下田の人間は死後もお吉に冷たく、哀れに思った下田宝福寺住職境内の一角に葬るが、後にこの住職もお吉を勝手に弔ったとして周囲から迫害を受け、下田を去る事となる。

  1. 幼馴染の婚約者がいたのに、幕府からの執拗な説得(ここが「御国のためだ!」なポイントでしょう)で受け入れざるを得なかった
  2. 同情が次第に嫉妬と侮蔑に変わった
  3. 稲生沢に身投げ
  4. 死後も冷たくあしらわれた

もちろん、これらのすべてが正しい歴史というわけではないでしょう。記録なども乏しいようですし、いろいろな創作が加わっていることも容易に想像できます。

「唐人物語」の歌詞は斎藤きちをどう描いたのか

乙女は悲しみを 御国のためと知る

 

籠で行くのは時代に遊ばれた見目麗し人

 

石や礫でラシャメン結いに うしろ指差すひとりひとり

 

世を捨て世に追われ 旅立つ稲生沢

開国の時代に、国の都合でいいように扱われ、そして日本人からも蔑まされ、最後に稲生沢に「旅立った」ことが描かれます。それは3月終わりの桜の咲き乱れる季節で、美しき咲き乱れる桜(と、コンピュータで作られたまるで桜吹雪のような音)と、きちの悲劇の死のコントラストが激しいイメージになるでしょう。

この曲がもつ「重さ」は、おそらくサザンの曲のなかでも最も重いモノになるはずです。「私の世紀末カルテ」「ピースとハイライト」も十分重いですが、「個人の幸せよりも国の都合が優先される」という風景は、今の日本もほとんど変わらないという点においても重い話です。

勘違いしてはいけない点としては、斎藤きちの話を「国のために自らを犠牲にして尽くした」美談として描いたものではない、ということですね。もちろん、美談にしたがる人は大勢いるでしょうけれど、サザンは(桑田さんは)美談とは捉えていないと思われます。

サザンがなぜこの斎藤きちを曲の題材として取り上げたのか?は不明です。

しかし、前述の異色なイメージのこともあり、とても印象的な存在感で今回のベスト盤でも異彩を放っていますね。

この「Sakura」というアルバムは、サザンが90年代を経て「Young Love」のときのように「小林武史プロデューサーの影響から離れて、本来のサザンの音が戻ってきた!」というような無邪気な時期を過ぎて、また新しい基軸を探していた時代の記録のようにも思えます。「マイ・フェラ・レディ」のぶっ飛んだ歌詞とジャズにしろ、「LOVE AFFAIR」の疑似ライブにしろ、「素敵な夢を叶えましょう」の島健さんのアレンジにしろ、「電子狂」のドラムンベースアレンジにしろ、とにかく色々なことをやろう、という意欲に溢れているアルバムです。

その「いろんなところに手を出す」の一環として、この斎藤きちの物語を取り上げたのかもね。。。

「唐人物語」の唐人とは?

そもそも唐人とは中国人のことだと思われます。が、外国人を指す言葉(差別用語)としての意味もあったようで、さらに妾として「交わった」女性もその言葉で差別された、という見かたが有力でしょうか。

映画や小説もあるようです

が、紹介はしません(私自身観ていませんので、、、)。

美しい自己犠牲、という文脈で語られるものもあるようですので、ちょっと読んだりするのには注意が必要ですね。

唐人物語

唐人物語

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さくら(リマスタリング盤)

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