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instagramの画像なんかをもってきて、そこから話をふくらませたりします。

人生が用意するもの:川上未映子著

過去と現在と未来に生きる市井の人の視点

インスタには以下のように書いた

川上未映子さんの随筆はどれも面白くて何度も読んでしまいます。 これは週刊新潮日本経済新聞に2010年から2011年あたり発表された随筆で、今から10年前くらいの時事に影響されたりしたことも数多く書かれています。 ということはもちろん東日本大震災原発についての記述もたくさんあるわけです。

川上さんの随筆は、「人生において多くの人が当たり前のようにこなしている日常の作業」がなかなか難しいとか、「えー?そんなこと気になるの?」みたいな話が多くて感心するのだけれど、震災関連原発関連になるとトーンが変わってきます 変わるというよりも、当時の日本人の当たり前の不安や疑問がそのまま書かれているだけなのだけれど、メディアやネットの混乱はこんな素朴な疑問さえ嘲笑の的になっていたのでした。今思い出しても悔しかったり唖然とすることもある。 これを読むことで自分がどう感じていたのかということも思い出したのでした。

ところで震災以外のテーマについても、とても面白い。

結婚や夫婦という「純正ルサンチマン」のことは深く共感するし、国会議員の不倫報道についての男女格差についても、10年後の今も何も変わってない。 2021年は日本国内でもフェミニズムが見直されているけれど、川上さんはこの頃から世の中に存在している違和感をこうやって告発してきたのだな

自分の書いたものを引用するのはなんか変な気分だけどね。

お墨付きパワー

で、上には書かなかっただけれど、すごく印象に残っているのが「ふしぎなお墨付きパワーというタイトルで書かれたものになる。

結婚というものがやはり、ある種の苦しみや厄介やあきらめをどうしても伴うものであるがゆえに、「自由なまま人生を着ている人間を認めるわけにはいかない=婚姻制度を称賛する」という心理があるのではないだろうか。

なるほど!そうだよ!

みみっちい話で申し訳ないが、ボーナスを自由に使っている、自由に旅行にいったり遊びに時間をかけている、という大人に対して、結婚して子供もいてローンでガンジガラメ、という人たちは「認めない」という態度で対抗しようとするのだった。

よく考えたら(いや、考えなくても)、そんなの個人の自由だよ。なんでそうなるのだろうね。

そしてその「認めない」で連帯する人たちの負のパワーたるや。。

(震災当時の報道で)「行方不明の恋人を探す」場面や「避難所で暮らす同性愛者たち」といったーー通常のルールから外れていると社会が見なす人々が公に登場するのを見る機会はたしかになかった。

社会的担保に後ろめたさもなく安心している人たち

と、いちいち大きくうなずいてしまう。

そして新型コロナでも、ほとんど同じことが言えるのではないだろうか

あれから10年が経ったのだけれど、私たちの社会は、良い方向に進んだのだろうか?いや、だれもいい方向に進んだなんて言わないだろうね。

同じようなことが延々と繰り返される社会を、私たちはどう変えていったらいいのだろうね。

と、この随筆集を読みながら、深く考え込んでしまったのでした。

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