PeaceだったりHiLightだったり

instagramの画像なんかをもってきて、そこから話をふくらませたりします。

年の瀬に思う。改めて情報発信とは何なのかを考えた。

インターネットがあれば、世界中に情報発信できる

そういう風にあおられて、誰もかれもが言い始めて、実際に情報を発信したりした人も多いでしょう。

 

それから割と長い時間が経過しました。

 

今もインターネットは同じように情報発信のための、最重要ツールとしての地位を保ち続けています。

 

個人や企業がホームページを持つ時代から、ブログの時代になり、さらにはツイッターやその他のSNSが主流になったのでした。

 

ただの文章やリンクだけではなく、自分で撮影した写真や、自分で書いた絵、作った音楽が重要にもなった。

 

ただサイトがあるだけではなくて、その人や企業のことがよく分かることが大事で、稚拙な作品であっても、大きな共感を得られることだって可能になったんですね。

 

企業にしても、ただ製品の紹介や会社の紹介に終始するのではなく、「中の人は割とくだけてるんだね」と思ってもらったほうが得だったり、意外な魅力を発見してもらえたりします。

 

それらは情報発信の方ですが、積極的に発信しなくても、とりあえずネットにつながるということで、何かしらの恩恵を受けることができるし、必ずしも情報を発信する必要もないとうのがとても重要です。

 

それで、みんな幸せになったのか

この手の話では必ずここを通過するのですが、、、

「それで、みんなの情報を出したり集めたりの結果、どうなったの?」

「幸せ」なんて言葉を持ち出しちゃうと、とても答えにくて、確かにかなり便利になったけど、煩わしいことも増えた、としか言いようがないですね。



情報は与えられるものではなく、自ら探し出すものであることに気づいた


これはとても大きい。
限られたメディアからの限られた情報の時代とはとても比べられない。
世の中には自分が知らない、だけど自分に必要だと感じる情報がたくさんあったんですね。
そんなことを考えもしなかったし、考える必要もなかった。
逆を言うと、必要な情報を自分で探すのはものすごく大変だから、情報は限られていた方がありがたいという考え方も成立する。
だけど、もう戻れない。

結局はここに行き着いたのではないか?

とにかく情報を探し出すのは簡単なようで難しい。
でもそれは楽しい作業でもある。
自分に必要なもの、あるいは不要なものを一旦同じ机の上に乗せ、少しだけ吟味して、やっぱり必要だと思えるものを採用する。
不要なものも捨てるのではなく、なんとなく残しておく。
大変だけど、それこそが私たちのたどり着いた現在地なのではないでしょうか。